※写真は、高3生Y君の質問への解説
オールラウンド渡辺です。
まずはクイズから。
【クイズ】
ある日Aさんは海へ行き、一人乗りのボートを使って、数km先に浮かんでいる島へと向かうことにしました。
ボートにはエンジンはなく、オールのみが付いています。
さて、その島を目的地にボートへと乗り込んではみたものの、なぜかAさんはボートのオールを使おうとする気配も見せず、毎日ただひたすら波や潮の流れに身を任せ、「何とかあの島に着いてほしい」と祈ったり「何で島の方向に流れて行かないんだ」と怒ったりしながら過ごしています。
さて、Aさんは果たして無事にその島に到着できるでしょうか。
また、Aさんがオールを使って進もうとしないのは、一体ナゼでしょうか。
そして、そんなAに対し、あなたは一体どんな声をかけるでしょうか。
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いきなり何の話をしているのか、サッパリ分かりませんね。
スミマセン。
今日は話の伏線から始めました。後で回収します。
先日、「メディアに対して社会の多数派が求めているニーズ」について洞察しているYoutubeの動画を見て、考えさせられるものがありました。
今回は、その内容を切り口に、話を展開させていきたいと思います。
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その動画の内容を要約すると、以下の通りでした。
【要約】
メディアに対し、『一般市民・社会の多数派(以下、A)』が求めているものは
『自分たちが思考・判断するための材料(客観的事実など)』
ではない。
Aは
『深く考える力』がなくてもそのメディアの内容を楽しめるように、
『深く考える力』がなくても日々のストレス発散ができるように、
「だからアイツはダメなんだ」
とか
「〇〇が正義で△△が悪」
と叩けるような、そういう分かりやすい
『方向・答え』
を求めている。
Aは、誰かに『方向』を決めてもらいたがっている。
Aは、今すぐ自分の知力の範囲で理解できる『答え』を欲しがっている。
(要約終了)
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※洞察をしやすくするためか表現もシンプル化されていて何ともダイレクトな内容でしたが、たしかに例えば経済学など「乱数の多い実態を分析する学問」においても定義や数式を単純化させることで全体像を見えやすくしたり効果的な解決策を導きやすくしたりしているので、今回はそれらと同様の単純化手法を用い、上の内容を前提にした上で「現状の社会の実態」や「目指すべき教育」などをいろいろと掘り下げていきます。
ではまず初めに、政府などといった「上」から与えられたルールに対して、もしAに『深く考える力』がなかったら、Aは一体どういった行動をとると考えられるでしょうか。
おそらくAは、
・『すぐにAへ利益がもたらされるように見えるルール』には従う。
・『利益がないように見えるルール』や『利益がなくなったように見えるルール』、『利益が遠い未来にしかもたらされない(=すぐにはもたらされない)ように見えるルール』には、従わない or 批判する。
といった行動をとる可能性が高い、と考えられるでしょう。
上に書いた要約の通り、分かりやすい『答え』に右往左往しやすくなるかと考えられます。
ではそんなAという多数派がいる社会では、『メディアや政府(以下、発信側)』は力学上どういった行動を取るようになると考えられるでしょうか。
・発信側みずからの職、すなわち「生活(=収入)」のため、顧客(=A)の性質を利用した『記事やルールづくり(以下、発信)』を行うようになる。
(例)
「政府」
Aの利益にならないルールは、できる限り「Aの利益になるルール」のように見せる。
Aの利益にならない新ルールは、Aの関心を引きそうな別の発信にAが気を取られているスキにコッソリと可決する。など
「メディア」
Aの関心を引くような分かりやすい『方向・答え』を決めた記事、どんな立場の人からでも批判(=ストレス発散)ができるような記事を量産し、利益を得る。など
と考えられます。
それでは実際に、そんなAの性質を利用した発信が「発信側の意図に近い結果」をもたらし続けたとすると、発信側やAは時とともにどうなっていくと考えられるでしょうか。
「発信側」と言っても「政府」と「メディア」とでは質が大きく違うので一括りにはできませんが、
・発信側は、「Aには基本的に『深く考える力』がない」と思い込むようになる。
↓
・発信側は、「Aの性質を利用した、発信側に有利な発信づくり」をパターン化させるようになる。
(=発信側は自身のエネルギー消費を徐々に抑えていくようになる。すなわち、発信側に油断が生まれるようになる)
↓
・発信側の思考力が低下していき、脇の甘い失態(※1)やその露呈が起こる。
(※1)「脇が甘いかどうか」は、発信側の失態やその露呈が「発信側の生活をより豊かにする目論見により故意に起こされたものかどうか」による。
(※1)「脇が甘いかどうか」は、発信側の失態やその露呈が「発信側の生活をより豊かにする目論見により故意に起こされたものかどうか」による。
↓
・Aは、発信側からバカにされていると感じ、怒りや呆れなどのマイナス感情がAから発生する。
といった流れが、結果の一つとして考えられるのではないかと思います。
(重ねて言いますが、細かい乱数をカットし、かなり単純化して思考を進めています)
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では、そうだとすると「Aにとってより望ましい社会」とは一体どんな社会でしょうか。
社会に対するAの望みとは、一体どんな望みになると考えられるでしょうか。
おそらくAの望みは、
・Aのことをバカにしたようなルールではなく、Aの利益をキチンと考えたルールを「上」につくってほしい。
・A自身の意見をキチンと取り入れてくれる社会を「上」につくってほしい。
あたりになるのではないかと考えられます。
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ここで、もしAに『深く考える力』があった場合は、
・そういった社会を「自分たちで」つくりたい。
といった望みも当然選択肢として出てくるでしょう。
が、ここまでの分析は「Aに『深く考える力』がない場合」を前提に進めています。
そのため、Aはそういった社会を「自分たちでつくりたい」と考えるのではなく、
・Aのためになる社会にしてくれるような、『考える力のあるリーダー』が現れてほしい。
という望みをもつようになるのではないか、と考えています。
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さて、ではこの「リーダーが現れてほしい」といった類の望みについてですが、これは一体どういった質の望みと言えるでしょうか。
考えてみましょう。
「リーダーが現れてほしい」という望みをAがもって以降に起こる未来は、どんな未来なのか。
それは、大きく分けて、おそらく以下の3つのどれかであると考えられます。
1.
良いリーダーが現れて、Aの問題が解決される。
2.
悪いリーダーが現れて、そのリーダーの煽動によりAはさらに翻弄される。
3.
大したリーダーは現れず、相変わらずAは不満な現状を憂う。
これらのうちどれが実現するかは「あなたから影響を与えることのできない外的要因」(=運)に左右されます。
したがって、こういった類の望みは非常に脆弱な質の望みであると言えるでしょう。
「Aのためになる社会にしてくれるような、『考える力のあるリーダー』が出てきてほしい」
といった望み。
これはたとえるなら、
目的の島(=望む未来、望む状況、望む社会、など)に向かいたいAが、自らのボートを進める(=考える)ことをせず、ひたすら波や潮の流れ(=外的要因、運)に身を任せている状況。
のようなものだと言えます。
(冒頭の伏線は、このことでした)
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さて、前置きが大変長くなりましたが、あくまで単純化された思考ながらいろいろと頭の中が整理されてきたので、いよいよここでこれまでのトピックを、『教育』という観点から捉え直していきます。
ここまでの話を前提に考えた場合、Aにとって望ましい未来を実現するために目指すべき『教育』というのは、一体どんな教育だと考えられるでしょうか。
それは、
・深く考えることをせず、分かりやすい『答え・方向・指示』ばかりを求めるような人材を量産する教育
でしょうか。違いますね。
・自ら深く考えることのできる、「目標を達成する力」や「社会をより住み心地のよいものにしていく力」をもった人材を育てる教育
これが目指すべき『教育』である、と僕は考えます。
つまり『教育』は、
『深く考える力』を鍛えるためにある
と僕は考えます。
・唯一解を解かせるだけの教育
・「なぜそうなるのか」といった理由を理解させず、「それはそういうもの」と覚えさせるだけの『暗記型学習』に終始する教育法
・納得できるような理由を提示せず、「それはそういうもの」と従わせるような指示やルール
・「成績の良い人・悪い人」、「(本質的には無意味なルールであれ)ルールに従う人・従わない人」といった二分法で善悪を決めるような教育
果たしてこれらは、『深く考える力』を育てる教育だと言えるでしょうか。
それどころか、
『深く考える力』がなくても楽しめてしまうような、「〇〇が正義で△△が悪」、「だからアイツはダメなんだ」と簡単に誰かを叩けるような、そんな分かりやすい『方向・答え』だけを求める人間
を育てる教育となってはいないだろうか。
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自分の頭で深く考える力を鍛えることは、必ずしも楽とは限りません。
「考える力」を鍛えることがあまりにも苦痛な方や、そもそもとくに目的や目標を必要としていない方などにとっては、ひたすら波や潮の流れに身を任せている方がトータルではより幸せとなるようなケースももちろんあるでしょう。
今回の掘り下げも、背景・条件・定義などをかなりシンプルにした上での一意見なので、それらの諸設定を変えればまた違った見方や意見をつくり出すことも可能です。
今回のブログ内容は、あくまで一つの
『判断材料(思考材料)』
実際にどういった教育が『望ましい教育』だと結論づけるかは、各読み手の皆さまに委ねます。
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その上で、
「楽でなくとも『自分の頭で深く考える力』を鍛えたいと思ってはいるが、どう鍛えたらよいか分からずにいる」といった学生の方がもしいらっしゃった場合は、どうすればよいでしょうか。
断言しましょう。
オールラウンドはその力を、本人の想像を超えるほど強く鍛えます。
オールラウンドでは、
・ただ知識を受動的に受けるだけでなく自ら進んで「知」をより深めたい学生
・自分で自分の人生をどうしたいかを考えて目標を設定し、その目標に向けて努力したい学生
・正解のない問題に答えを創造する能力を鍛えたい学生
を、積極的に歓迎しています。
「その思いを実現させるかどうか」
オールラウンドはそんなあなたを待っています。